めまぐるしい情報化社会の中でモノを「書く」ということ。
こんにちは!りょっぴです。
ブログを始めて1ヶ月半。
こちらの記事で23個目となります。
これからの方針を考える上での
ブログを「書く」ことについて
考察していこうと思います。
情報化社会へ
近年、スマホの普及により
いつでもインターネットに接続し
情報を得れるようになりました。
ユビキタスとは・・・
いつでもどこでも誰かが簡単にコンピュータネットワークにつながってITを活用できる状態を指す語で、ある時から一気に広まった。
誰でも簡単に情報に
アクセスできるようになったが故に、
「読む」=「情報を集める」
という行為が落ち着きのない
不安定なものになったのです。
このデジタル化を手放しで喜べないのは、読むという行為が、たとえばスケートリンクを滑っていくように移り気で、めまぐるしく、落ち着きのないものになっていくのではないかという恐れを感じるからです。
インターネット上の情報を
「読む」行為が
''スケートリンクを滑る''
という不安定なものへと
移り変わってしまった。
「読む」行為の不安定さ
デジタル化時代になって思考が水平的になり、文脈を読まない、あるいは読めない人が増えてきたであろうことも見逃せません。
Twitterでは誰でも情報を発信できるので、間違った情報が出回っても、
それに気づける人が少なくなっている。
テレビや新聞に多くみられる
メディア洗脳から抜け出せない。
情報の渦に巻き込まれてメディアの
思うような意見へと流されていく。
そうした人たちが増えてきているのは
情報が大量に出回るようになったからです。
「書く」ことの大切さ
そんな情報化社会の中だからこそ
「書く」という行為は
自分の意見を整理する
一つの方法ではないでしょうか?
書くということは、心の動きに引っかかったピースを、すくいあげて言葉にする行為だ。
心の動きをないがしろにせず整理する。
自分の内面と向き合って、
深く考えた上で言葉として残しておく。
情報過多な時代だからこそ、
自らが主体的に発信することの
意味が見えてくるのです。
最後に
「書く」ためには情報のインプットも
重要なプロセスです。
インプットの方法の一つである、
読書は頭を使って「読む」行為で
あるべきです。
読書は単なる情報収集とは違った、いうなれば底なしの深い海に潜っていくような思考を伴う行為であってほしい。
私たちは日常生活で、頭がパンクするくらいの情報に触れています。
せめて読書だけは、
深く深く考えを研ぎ澄ませる行為
であってほしいのです。
「書く」行為と「本を読む」行為は
この先の情報化社会において、
自らの内面と向き合う重要な鍵に
なるでしょう。
「書く」場合は、不特定多数の誰かに
発信するように意識する。
どうやったらうまく伝わるか、
きちんと自分の中で整理するプロセスがあるからです。
ぼくはブログを通して、
「書く」行為を生活の一部に
していこうと思います。
引用・参考書籍:「文は一行目から書かなくていい」
- 作者: 藤原智美
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- 発売日: 2013/05/24
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これからのブログを書く上でも
大変役に立つ書籍です。
ぜひ読んでみてください!
そんじゃ、Goodbye!!!